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ファイヤードブログ

ディジタル・パブリッシングという観点から、Webサイト制作、電子書籍制作などを。※ブログリニューアル中

LINEの人間関係で悩んでいるティーネイジャー諸君へ

ネット時評

 おじいちゃんはLINEもSNSもやらないから、的外れなことを言ってしまうかもしれない。その時は笑ってくれればいい。
 例えば、君は「既読スルー」されて悩んでいるかもしれない。この悩みは、「既読」か否かを表示する機能がLINEについているからこそ生まれるものなんだ。君は「既読スルー」されることを、この世界の大問題のように感じてしまっているかもしれないけれど、LINEというアプリを作る人たちが「既読表示機能をやめます」といったら生まれようのない悩みでもあるんだよね。そして、既読表示機能なんて、無くそうと思えば簡単に無くせるものなんだよ。こう思うと少し楽にならないかな。LINEを作っている人たちは神様じゃないんだ。LINEの存在しない世界の方が圧倒的に広いんだ。
 作っている側の人間はさ、「既読機能は相手にちゃんとメッセージ届いたかどうかを確かにするため」みたいなことを言ってるんだけれどさ、馬鹿だよね。こういう大人を見たらね、ちゃんと笑顔で「ファック」って言ってあげようね。学校じゃ教えてくれないけど、大事な言葉だよ。だいいち、言葉を届けるもっとアナログな方法の手紙なんか、自分でいちどポストに出してしまったら、相手に届いたか届いていないのかわからないところが良かったりするんだよ。もっと言うとさ、物理的にメッセージが相手の元に届いたとしてさ、相手が読んだそのメッセージが本当に心まで届くなんてこと、確かめようがないんだよ。この文章もそうやって書かれている。ネット上に放って、誰かに見つけられることを待っている。発見されたとして、一段落目で去ってしまう人もいれば、全部読む人もいる。全部読んで書いている奴はアホだなと思う人もいれば、何かしらを感じ取ってくれる人もいるだろう。
 そんでさ、世の中の多くの大人たちはさ、こういう会社を経営がうまくいっているとかそういう面だけ見るばかりで、褒めることしかしないんだよ。LINEが問題になっても、「ツールに文句をいってもツールは所詮ツールだから」とか言うんだよ。どうしようもないよね。こういう時は何て言えばいいか、忘れてたら思い出してみて。まぁ、おじいちゃんもすぐに既読機能を消せとは言わないけれどさ、LINE側の人たちは自分たちの権力性に無自覚だと思うよ。

 あとグループっていうのもあるみたいだね。もうグループのことになるとおじいちゃんはさっぱりわかりません。もし自分が10代の頃にあったら、確実に発狂していたと思う。君達は強いよ。10代の人間関係って、ほとんど教室内のパワーバランスのことだからね。おじいちゃんもね、教室内で常に怯えていたよ。もう死語かもしれないけれど、「ハブる」って言葉があってね。仲間外れにするとか、シカト(無視)の対象にするみたいな意味なんだけれど、多かれ少なかれ、教室内にいた生徒は「ハブられる」ことを恐れていたと思うよ。
 でさ、これ、「明日は我が身」だってことはわかっていても、実際に自分がいつからハブられているのかって、なかなかわからないものだったんだよね。ハブる側はさ、自分たちがハブった人間が「あれ、もしかしてハブられている?」って、おどおどしているのも含めて楽しんでいたからね。そんなだから、ハブられた側としては、結局のところどうなのかは確かめようがなかったわけ。だから、「ハブられているかもな」ってわかっても、微妙な空気も含めて付き合っていたんだよね。
 今はLINEのグループから外されたら、もうそれは絶交なんだって確信してしまうよね。まさに、オール・オア・ナッシング、全か無か、の世界だ。境界が曖昧だった頃は、曖昧だからこそ、ひょんなことから関係が修復することもあったんだ。でも、これだけきっぱり宣言されてしまうと、もうどうしようもなく感じてしまうだろう。

 おじいちゃんの子供の頃は「既読スルー」で苦しいとかはもちろんなかった。企業が個人のコミュニケーションに介入してくるなんてことはなかった。じゃあ、何の苦しみがあったかというと、戦争のもたらした様々だな。結局、人間、どの時代に生きても、いくらテクノロジーが発達しようとも、苦しさや悲しみからは逃れられないのかもな。まぁ、君たちに戦争の苦しみがこれからないとは、言い切れんがの。