読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ファイヤードブログ

ディジタル・パブリッシングという観点から、Webサイト制作、電子書籍制作などを。※ブログリニューアル中

私の患う「インディー病」について

 ポートフォリオサイトを作って、そこに「種をまくように、小さく始められる、持たざる者の味方としてのウェブ」みたいなことを書いた。こういってはみたものの、現実はそう上手くいかない。

 自分で「インディー病」と呼んでいる病のようなものがある。これは、小さく始めたのはいいが、それを流通させることができず、何の現実的な効力も持たないものを繰り返し生み出してしまうという症候のことを言っている。たしかにウェブを使えば小さく始めることはできる。写真、音楽、小説、ニュース、イラスト、デザイン、その他の多くのことが。しかし、これには決定的に欠けているものがあって、それは「政治」だと思う。具体的な他者との手続きを欠いているから、それを流通させるところまでなかなかいかない。

 インディー病にかかった者は、自分が面白く思ったり、便利だと感じたりするものを作れば、そのものだけで流通すると思い込んでしまっている。しかし実際は、作ることと流通させることとでは、そこで働く力学の質に大きな差がある。さらには、便利さや面白さという価値でさえも、流通されたという事実があるがゆえに人々がそう思い込むという側面がある。

 例えば、現在のセブンイレブンのコーヒーメーカーより優れたインターフェースを持つ製品を考えられるという人は何人もいるはずだ。しかし、実際には、「政治」に長けた佐藤可士和氏のデザインによるものが流通している。ここでは、本当に良いものを作れるか、といった資質はまったく問われていない。ある意味でこれは、大文字のデザインの「政治」に対する敗北である。しかし、良し悪しは別として、あのコーヒーメーカーは流通している。

 一方で、自分は「政治」力がないために、ほとんど何も流通させられていない。自分でKDPで本を出してもまだ5部も売れていないし、近頃の奇妙なニューヨークブーム(特にブルックリン--一切歴史を捨象された、単なるシャレオツの記号としてのブルックリン--のそれ)に対するナンセンスからの抵抗を試みた「ぶるっくりん」TシャツもUTmeとBaseで販売してはいるが、1着も売れていない。これじゃ、一応用意してはある「ぶろんくす」、「くいーんず」、「中央公園」、「まんはっうんん」、「JFKA」もとても出す気にはなれない。

 運良く流通するケースももちろんあるかもしれないが、それでも徒労に終わってしまうことの方が遥かに多いように思う。自分は、「ウェブで小さく始めること」を説いて、サービスを提供しようとしているわけだが、これはクライアントに対して徒労に終わることを提供しているに過ぎないのではないか。そしてなかなか仕事がとれないのは、人は徒労に終わりそうなことに、お金を払いたいと思わないからなのだろう。

 私はこの病気を自覚してはいるものの、まだ完全に完治していないので、あと一握りではあるが、構想中のものを小さく出してはいくだろう。だが、何度も言うように、それが流通してくれるかどうかは、わからない。

***追記

5/24 タイトルを「私の患うインディー病について」から「私の患う「インディー病」について」に変更。