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ファイヤードブログ

ディジタル・パブリッシングという観点から、Webサイト制作、電子書籍制作などを。※ブログリニューアル中

これで僕も社畜になれる。

 アルバイト(正社員につながりそうな)や正社員を募集しているところにいくつかアプライしてみた。とはいっても、基本的に、消極的なのは変わりないので、数は限られる。会社の規模や方針、ウェブサイトから感じとられる社風、就業時間その他までをちゃんと見て、「これだ」と思ったものしか応募していない。

 ところが、これらにさえ全く引っかからない。メールの返信すら来ない。もう半分フリーでやっていくのは諦めて、えいやっという気持ちで応募しているのにもかかわらず。なんだか、自分の本名で検索したら、シリアルキラーとしてネット上ででっち上げられているのではないかという気がしてくる。そして、実際にそういうようなことが起きていたら怖いので、自分の名前を検索して確かめることもできない。

 こんな状況で、次に自分はどんなアクションを起こすだろうか。生活は切羽詰まっているので、今度は吟味せずに数で勝負に出ることになるだろう。「就活生、100社応募とかアホやなあ」と思っていたのも、決して他人事ではなかったのだ。

 さて、数の多さに任せたところで、好ましい返答が来る確率が上がるわけではない。メールが返ってきたところで、一次面接、二次面接、最終面接まであるのが普通だ。そうなると、最終的にどこかから「内定」を取れた場合、応募者(アプリカント) としての心境はどうなるだろうか。もう奇跡だと感じるのではないか。自分を雇ってくれた会社に対しては、何か特別な感情を抱かざるを得ないのではないか。

 会ってくれさえしなかった他者/社がいるのにもかかわらず、この人たちは自分を相手にしてくれていると考えると、何か特別な巡り合わせがあるように思えてならなくなるだろう。

 とはいえ、冷静になって考えてみれば、会社側としては雇用の必要性から募集をかけていただけで、それとたまたま応募者のスキルがマッチしていたというだけの話である。それだけの話なのであるが、アプリカントとしてはこの「マッチした」という状況が、セレンディピティーによって引き寄せられた神秘的な現象のように見えてしまう。

 実際に何ヶ月か働いてみるうちに、労働条件があまり良くないことを感じとっても、「他に場所はあるのか」と問いかければ「無い。実際にあれだけスルーされたのだから」と言わざるを得ないだろうし、偶有性によって祝福された会社との出会いには特別な感情があるから、上に異議を唱えるということもしにくい。

 就職するのに数で勝負に出た人間のひとつの顛末がこれだろう。悲観的すぎるかもしれないが、想定しておくに越したことはない。自覚的な上でなら、社畜になるのも怖くない。これで僕も社畜になれる。