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ファイヤードブログ

ディジタル・パブリッシングという観点から、Webサイト制作、電子書籍制作などを。※ブログリニューアル中

「ご冥福お祈り申し上げます」は知り合いだけにした方が良い

ネット時評

 「ご冥福お祈り申し上げます」は直接の知り合いだけにした方が良い。そう思うのは、少しでも知っている人の訃報についてその都度反応していると、あなたがいずれ窮屈に感じることになるからだ。ここでの反応というのは、TwitterFacebookで一言コメントすることを意味している。

 7月に入ってからだけでも、菊地雅章さんが、岩田聡さんが、そして鶴見俊輔さんが亡くなった。6月にはオーネット・コールマンが、5月には車谷長吉さんが亡くなっている。それに対して、毎回毎回、SNSで私たちは予測変換一発程度のコメントを出すべきなのだろうか。そんなものはたかが「R.I.P.サービス」にすぎないのではないか。

 すべての人の死について言及することはできない。特定の誰かに対して「ご冥福お祈り申し上げます」ということは他の誰かの死を排除することになる。それは無名の人だけでなく、著名人のあいだでもそうだ。例えばここまでの私だって、菊地雅章さんは名を挙げたのに、相倉久人さんの名前は出さなかった。あるいは、今日であれば、鶴見俊輔さんに対する上田昭夫さんを例として挙げることもできるだろう。

 もちろん、個人的な選り好みは自由だし、それは避けられないものでもある。ただ、この世の中では、必要とあらばあなたの揚げ足を取ろうとする人で溢れている。例えば、「お前、映画好きとか言ってるけど、高倉健菅原文太が死んだ時になんもコメントしなかったじゃないか」などと文句を言ってくる奴は必ず出てくる。あるいは、「なんで高倉健にコメントしたのに菅原文太はスルーだったんだよ」と言ってからかう奴が現れる。

 若干事情は異なるが、松田直樹選手が亡くなった時に、なでしこジャパンの川澄選手がブログでその日に言及しなかっただけで、コメント欄に批判コメントが相次いだことがある。人の死というのはセンシティブなトピックなので、一部の人の激昂を買いやすい。

 だから、訪れる哀悼の意はまず心にとどめておき、そして、言及の範囲は基本的に知り合いにとどめるべきなのだと思う。