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ファイヤードブログ

ディジタル・パブリッシングという観点から、Webサイト制作、電子書籍制作などを。※ブログリニューアル中

「デザイナー」に、何を期待してたと言うんだい?

gestaltung

 君、随分と東京オリンピックのエンブレムの騒動で躍起になっているみたいだけれど、私に製作中であると前に言っていた展覧会のポスター案件は終わったのかな?君にそんな暇はあったっけ?

 私は、擁護とも取れる記事を書いた。そうだよ、確かに書いたよ。その後パクリとかパクリじゃないとか、新たに問題になったことがあるけれど、私の考えは変わっていない。改めて言う。あれは良い、というか、効果的なんだ。確かに美的にはちょっと、いちゃもんをつけたくなる要素はあるかもしれない。だが、何であれ、あのデザインにはパラリンピックを差別している人々をあぶり出す仕掛けが組み込まれているのだからね。そして、実際に多くの人々が、左側だけのエンブレムを持ち出して語って、パラリンピックなんてどうでもいいと考えていることを無意識に露呈させてしまっているのだからね。愉快じゃないか?この事実だけでも少しは「グッジョブ」って言いたくなるよ。

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 ちょっと弁明するみたいになるけれど、私は日本で「デザイナー」としてちやほやされる人たちには、元からあまり期待していないんだ。彼らのプロフィールを見てごらんよ。多摩美武蔵美か、あるいは東京芸大のデザイン学科を出て、新卒で博報堂電通に入る。そしてそこで経験を積んで人脈を張り巡らせたのち、独立したというのがお決まりさ。今回のオリンピックのロゴを作った人も、それに対してFacebookで感情的にしか批判に反論できなかったお仲間もみんなそうさ。

 そんな彼らがしていることは何か?それは、「身の回りのことをちょっとだけいい感じにする」ってことくらいじゃないか?そして、彼らのクライアントを見れば分かる通り、広告代理店時代に作った人脈をベースに大きな会社と手を組んで、資本主義社会に「彩り」を加えるってことくらいではないか?

 そういや、ちょうど1年前にTwitter(ほとんどやっていない)で引用した松岡正剛氏の文章を思い出したよ。

 大変だね。ウィリアム・モリスのレベルで困るって言われちゃってるよ。君も、思っているんだろう?「デザイナー」たちが中途半端だって。君の今回の騒動における怒りは実はそこに向けられているんじゃないか?

 もちろん、すべてのデザイナーがそういう人たちであるわけじゃないさ。例えば、メディアなどにはなかなか現れないけれども、器や筆を作っているような人たちがいる。あるいは文字を作るような人がいるじゃないか。また別の視点では、プロダクトデザイナーはグラフィックデザイナーに比べて日本では軽視されていないだろうか?そこについては君はどう思っているんだい?

 あと、グラフィックにおいて、いま「デザイナー」として商業的にちやほやされている世代よりも上の世代には、デザイナーがいるだろう。彼らはちゃんとフィロソフィーを持っている。杉浦康平戸田ツトム、ちょっと工作舎に寄りすぎだと言うならば、原研哉を入れてもいいだろう。彼らの書く本は、ちゃちな仕事論や自分(の作品)語りではない。ちゃんとデザインを語っている。そして、当たり前だが、彼らのデザインには彼らのフィロソフィーが反映されている。ちょうどサルトルの哲学がサルトルの小説に反映されるようにね。

 さて、もうこのへんでやめるよ。まぁ、君にとにかく言いたいのは、大勢の人と並んでネットで誰かを叩くような真似はやめてほしいということだ。そういうことは、物を作る人間のすることじゃない。繰り返すけれど、君にそんな暇はない。ああ、もちろん私だってこんな手紙を書いている暇はないさ。学ばなくてはならないことがたくさんあるからね。では、この辺で。